毒親育ちの私は、自分の判断がおかしい事に長い間気付かずにいました。
モラハラされてても、不快感はあるのものの、怒るべきところで怒れなかったり。
「はぁ?」と、納得できないこと、理不尽なことを言われたり、されたりしても、「はぁ?」と思ったまま従っていたり。
窮屈だと思うのなら、自由になれるようにすれば良かったのですが、窮屈だ!と思うところで思考停止。
動かないんですよね。
動かない。
それと、我慢できちゃうんですよね。
事がおおごとになるくらいだったら、黙って耐える、みたいな。
くっそ~!と思いながら我慢するのが日常化すると、酷いことをされてるかどうかも自分じゃ判断つかなくなっちゃうし。
「え?そんな事されたら即離婚だけど?」←この判断が自分じゃ出来なくなるのです。
自分にとって嫌なこと不快なことを相手に言うってのは、「自分の我慢が足りない」「根性無し」「自分だけ楽をしようとしてる」という感じに思えて、とっても言いづらいのです。
なので、自分の気持ちを伝えるのがとっても苦手だったりします。
今の自分の感情が分からなかったりもしますし。
これ、母親として子育てしてる時も、同じ様に我慢して、我慢して、最後は爆発、ってのを繰り返してたように思います。
娘が学生の頃は、本当に生きるのが辛かった。
生活するのが苦痛で。
元夫との結婚生活の時も同じ様な気持ちになってました。
楽しい日もありましたが、「これじゃ私は奴隷みたい」「ここは地獄」と思う日も結構あり、生きるのが辛くてたまらなかった。
男とは別れれば縁は切れますが、自分の娘だとそうは行かない。
何度も何度も娘と衝突して、少しずつ、私は自分の気持ちを言えるようになりました。
当時は最悪だと感じてましたが、あのバトルがあったからこそ、今の自分がいるのだと感じています。
今は、良い関係を築きたいからこそ、自分の気持ちや感情を相手に伝えるようにしています。
自分を押さえてた昔とは違います。
だからなのか、自分の中が風通しが良くなりました。
生き辛さも無くなり、生きやすくなりました。
言いづらい事も、揉めるかも知れないけど、ゆくゆく困るのは自分なので今のうちに言っておこ♪と、思えるようになりました。
この時に、相手の言い分を聞いてあげれたり、お互いが気持ち良くいられるようにするのが、人とコミュニケーションを取るという事なんだなと分かりました。
一方的に言いたい事を言うのは、コミュニケーションを取ってるとは言わないですね。
全然まとまりのない話になってしまいましたが、自分の中の変化を書き記しておきたかったのです。