母に、溜まってたモヤモヤを全部吐き出しました。
解り合える、ってとこまでは行かないけど、私の気持ちを分かろうとしてくれました。
言い合いにならなかったのは「知ろう」としてくれたから。
私も「知って欲しい」という気持ちで訴えたので、責めたりしませんでした。
モヤモヤするのは、言いたいことを言えないから。
言わない自分にイライラ、モヤモヤするんですよね。
私は50歳です。
母に不満をぶつけるなんて、まるで学生のような事をしましたが、やって良かった。
父の性的虐待は、言葉を濁して伝えました。
ハッキリ言わない方を母が選んだからです。
お父さんがいなくなって寂しい、と、いまだに涙している母なので、まさかその父がそんな事をしてたなんて信じられないでしょうけど、まずは私の訴えを聞いてくれました。
こんな酷いことをされた、という事よりも、だから私はこうしたい、という話がしたかったので、私からすれば父は「あんな事をした父」であり、とてもじゃないけどそんな父の仏壇に手を合わせたりは出来ない、と、伝えました。
どこまで分かってくれたか分かりませんが、仏壇に挨拶をしないことを了承してくれました。
義姉から「おじいちゃんに挨拶して!」と強制させられても、やらなくていいと言ってくれました。
父の相続に関しても、同じ兄妹なのに兄だけ家や土地が手に入り、私には何も無し、ってのはあまりに不公平だと訴えました。
それを聞いて、「あぁ、そうだね、、、」と、言った母。
言わなきゃわかんない事か?と思いましたが、そうなのでしょう。
自分が死んだ時は私に少し多めの現金が渡るようにするからね、と、なぜか母が死んだ時の話をし出して「は?」と思いましたが、母は母なりに少しでも平等になるように考えてくれたのでしょう。
昔の時代や名家ならいざ知らず、何者でもない平々凡々な家庭で、なんでこんな差をつけようとするのか不思議です。
とにかく長年の胸の引っ掛かりが取れました。
最初の性的虐待は小学生の時だったので、40年くらい引きずっていました。
40年!!長っ!
時間が経てば消えたり薄くなるものではありません。
怒りや恐怖心、気持ち悪さ、情けなさ、いきどおりのない気持ちはそのまま残ります。
これが心の傷なのでしょう。
とても痛みます。
自分があんな事をされてもいい存在なんだと、自分はペラペラの薄っぺらい存在なんだと思ってしまいます。
自分に夢も希望も持てない。
これが自己肯定感が低いという事なのでしょう。
特に20代が悲惨でした。
ドブに捨てた20代。
どうにかして、生きやすく楽しめる人生にしたいと考えるようになり、私は変わりました。