50代の再婚日記ブログ

50歳で再婚しました。楽しいこと、めんどくさいこと、色々です。

これからのこと

私と夫は仲が良い。

 

私は、夫の不機嫌な所を見たことが無い。

 

夫は、乱暴な口も聞かない。

 

穏やかで喧嘩知らず。

 

結婚の決め手は、そんな所だったりする。

 

ただ、だからと言って、素晴らしい人格者なワケではない。

 

こいつケチだな、、と思う事もあるし(前回参照)なぜそんな考えになるの?と不思議に思う事もある。

 

これはお互い様だ。

 

私だってそうだ。

 

違う人間なんだから、全く同じ考えにはならない。

 

 

気持ち良く暮らすためには、苦痛を取り除かなくてはならない。

 

 

私は、苦痛を取り除く事が苦痛だったりして、そのままな事が多かった。

 

色々言って揉め事になるくらいなら、我慢すれば良いと思っていたから。

 

我慢は、ある意味、楽チンなのだ。

 

我慢さえしてれば、丸く収まるから。

 

苦痛を説明し、それを取り除くための話し合いや譲り合いをするのはとても大変な作業。特に、すぐにムッとする人や、腹を立てる人に分かってもらおうとするのが、とーーーっても大変なのだ。

 

こちらとしては、苦痛の先にある解決策を話し合いたいのに、そこまで行かない。

 

そこに行くまでに喧嘩が勃発するか、不機嫌を炸裂されてこちらの心が折れる

 

苦痛を伴う生活は、心を病む。

 

 

相手との話し合い、コミニュケーションを取るのがとても大切だというのは、とても良く分かる。

 

これをないがしろにするのは、じわじわと自分の首を絞めるようなものだ。

 

 

無職なのに私が回転寿司の代金を払ったのは、まぁ、、払ってもいいか、と思ったからですが、あの時、「これは入籍したお祝いの食事だし、夫に払ってもらいたい」と言えれば、今の私はもっとスッキリしてると思う。

 

言えば夫は「いいよ」と払っただろう。

 

これは、それを言えなかった私の問題だ。

 

そりゃ私が思ったように夫が「今日は入籍した記念日だし俺が出そう!」と感じて自動的に払ってくれれば何の問題も無いのだが、それは私が勝手に思う事であって、そうしなかった夫が悪いわけではない。

 

それを言わなかった、言えなった、私の問題だ。

 

これからの結婚生活の中では、こーゆーのを無くてして行きたいと思ってる。