何でもかんでも親のせいにするのはダサいけど、親が毒親じゃなかったら私もこーだったんだろうなーと思うことがある。
人間関係を上手く構築出来ないのは私のせいだけど、こんな私になった原因の1つは確実に親だと思う部分がある。
それは、決められないこと。
毒親育ちはその過程で自分を消す必要がある。大袈裟にいうと、そうしないと生きていけないから。自分を無くし自分を消さないと毎日を送れない。
嫌なことをされてる時は自分がグッと我慢するしかない。
こんな事をなぜするのか?私にはしていいと思っているのか?実際してるんだから、そう思っているのだろう。私はこんな事をしてもいいという存在なのか?
そうなんだろう。こんな事をしてもいい存在。価値の無い、無価値な存在。それが私。そう思いながら成長する。
子供は思った以上に自分が子供である事を分かっている。自分の性別が女である事は自分ではどうにも出来ない事だし、子供の自分じゃこの家から出られない事も知っている。
都会ならまだ行く場所があるかも知れないけど、田舎じゃそれは無い。隣町まで行ったとて泊まるお金も持ってないし、いずれ補導されて家に帰らされるのがオチだ。小学生なら話すら聞いてくれないだろう。問答無用で家に帰らせるのは想像がついてた。
打ち明けられる友達もいない。いたところで逃げ場が無いのは同じことだ。どうしようもない。
学校に行ったからって何も解決はしない。家に帰れば夜に地獄が待っている。誰も助けてはくれない。母親ですら助けれくれないんだもの。
自分を殺さなきゃ生きていけないのに、大人じゃないというだけで「お気楽な時期」だと言われる。遊んでられるのも今のうちだぞ!と先生に言われても、「これのどこが?!」って思っていた。
この地獄が先生には見えない。
中学生の時、高校生の時、私は2度学校で泣いた事がある。
けれど、どの先生も私を助ける事が出来なかった。
テレパシーがあるワケじゃないし、先生からは見えないんだもん、当たり前かと納得した。
こんな状態のまま私は社会に出た。
社会人になってから出来た友達、職場での人間関係、告白してきた男性、色んな事が私を待っていたが、私はことごとく失敗した。
うわべと心の中が一致しないのが当たり前だったので自分を出す事ができなかったし、人に優しくしてあげる事がとても難しかった。人に対して優しい気持ちになれなかった。
どうしても自分自身が傷だらけになっているイメージがぬぐえなくて、なのに、自分がこんななのに、他人に優しくしなきゃならないの?!と。
この期に及んでまだ自分を下に置かなきゃならないのか、こんなに傷付いているのに、と。そんな感覚でいました。
他人から言われたらその通りにするのも私の中では当たり前になっていて、自分はロボットのようだと思った事もあります。中身が無い。空洞。
矛盾しててもそこは考えない、というか、考える事をしない、という感じ。
私は何とかしてこの生き苦しさを解放して自分を伸び伸びとさせたかった。
メンタルに関する物は何でも見たし読んだ。実践しようと自分を当てはめて試したりもした。その中で衝撃を受けたのが「今、目の前の現実は自分が作ったもの」という言葉。
今住んでる部屋、職業、確かに自分が選んでいる。無理やりここへ連れて来られたワケじゃない。自分が決めてこの部屋にしたんだし、仕事もそうだ。ここでハッとなった。
それと、パートナーは自分に合った人が現れる、という言葉。良くも悪くも自分にピッタリな人が。DVを受ける人にはDVをする人が現れるように、と。
ここでも「え?」となった。
DVをする人は、女なら誰でも殴るって事じゃなくて、向こうも人を選んでいると。そーゆー女性に近づき殴っているんだ、と。
それが本当かどうかは知りませんが、あぁ、、と納得しました。それを書いた人は、そもそもアナタはどんな人ですか?と聞いてるんだなと。殴られる女にはDV男が現れ、お金を取られる女にはお金をせびる男が現れる、それならモラハラだった元夫は私がモラハラをされる人間だったから現れた?
離婚後10年経ってから恋人探しを始めたんだけど、自分が望む「こんな人」に、自分は見合っているのか?と考えるようになりました。
彼氏から誕生日を祝ってもらえない、プレゼントをもらった事がない、お金を貸してと言われる、お金が戻って来ない、冷たくあしらわれる、こんなだった私が、今は、夫からも娘からも友人からも大事に、大切にされてるなと感じています。
そう感じれば感じるほど、これが最初からだったら良かったのに!!と思うのです。
最初に書いたように全てが毒親のせいだとは思ってません。人間形成に影を落としたのは事実でしょうけど、だからと言って「人生台無しになったのはお前らのせいだ!!」とは思いません。
人生台無しになったとしたら、それは自分のせいです。自分の人生なんですから、自分のせいです。
やっとこさ私は自分の人生を楽しめるようになりましたが、これを20代の時に味わいたかったな、と思ったんです。ただそれだけ。