彼氏君の結婚の挨拶の日にちが決まった。
日にちと時間が決まると、何だか逃げ出したくなる。
彼氏君が私の実家に来るのはいいけど、私の両親に会わせるのは不安でしかない。どうか変な事は言わないでおくれよ。
彼氏君からは、「スーツがいいのかな?」と質問された。
ちゃんとしなきゃいけない家柄では無いけど、、、ふふっ、こーゆーのも相談し合えるの、いいなと感じた。
多分、彼氏君はスーツで、私はスーツでは無いけどちょっとよそ行きな感じになると思うけど、どうだろう。
「今度一緒に考えよっか」
そう返信しておいた。
私の娘にしても親にしても、カチンと来る時はあるし、その考え方を受け入れられない事もある。どうしても許せない出来事もある。
けれど、娘も親も私のために何かしようとしてくれているのは分かる。日本語でこれを表現するのは難しい。強いて言えば、私を愛してくれている。だ。何だか子っ恥ずかしい言葉だけどこれ以外に思い付かない。
そして、私はそれを忘れてはならない。
彼らの言葉や態度にムカッと来る時があっても、根本にあるのは愛なのだ。
私はこれを忘れてしまったために、元夫と離婚したんだと今は感じている。
愛は流れている。
お互いを循環させて流れているからこそ、愛を実感できる。
元夫とは、どちらが先なのか分からないが、その流れを止めてしまった。
愛を感じない日々は、冷たい。
暖かくない。
やがて心が死ぬ。
私は死んだ心を捨てた。
捨てて、スッキリ気分を味わった。
娘が高校生の頃、私と衝突した時に泣きながら「お母さんと喧嘩したいわけじゃない!!」と叫んだ事がある。
私は娘と揉める度にこの時の言葉を思い出すようにしている。
余りにも腹が立って怒りでいっぱいになってる時は無理だけど、なるべく思い出すようにしている。
喧嘩がしたいわけじゃない。
ただ、言い分があるから言ってるだけ。説明してるだけ。私の言葉に私の態度に傷付いたと、腹が立ったと、それはないんじゃない?と思ったと、それを伝えてるだけなんだと、思うようにしている。
しんどい時もあるけど。
いや無理、やっぱり娘とは無理だと思う時もあるけど。
でも、娘の愛はちゃんと分かる。
私の愛も娘に届いてるといいなと思う。