愛は穏やかで幸せはつまらない。
これが真実。
なのに私はジェットコースターのように人生に振り回されている私が良いと思っていた。そんな自分に酔ってたと思う。
つまらない毎日は嫌。
退屈な日々はもっと嫌。
刺激があって感情が揺さぶられて、そんな毎日を送ってこそ充実感を得られると思い込んでいた。
51歳になった私は、幸せは退屈なものだと知っている。
ここで刺激物に手を出してしまうと、この幸せは2度と手に入らない事も知っている。
恋愛して結婚したはずなのに、夫がみすぼらしく見えてしまう時がある。
私の人生はこれで終わるのか、と、自分の可能性を自ら閉じてるんじゃないかと錯覚する時がある。
そんな時は、己を振り返るとすぐに現実に戻れる。
夫がみすぼらしく見える時は、自分がみすぼらしくなってる時なのだ。
夫は鏡とはよく言ったもんだ。
自分の内面を映し出してる鏡が夫だと考えると、見えているのは夫ではなくて自分。
私は、退屈でつまらない毎日を絶対に手放さない。
明日も明後日も、退屈でつまらない日々が続くようひっそりと努力する。
どんな私も受け入れてくれて、その上で私を愛してくれる、簡単そうだけどなかなか出来ない、それをやってのけているのが夫なのだ。
この退屈が、このつまらなさが、それを証明している。
愛の証として今日は、夫が楽しみにしてると言うお弁当を、もっと美味しくなるようにしてみた。
昨日は私も自作のお弁当を食べたのだけれど、見た目も味も今一つだったのだ。
どんなおかずならご飯が進むか考えたし、箸休めも夫の好きな物にしてみた。
気に入ってくれるといいな。