50代の再婚日記ブログ

50歳で再婚しました。楽しいこと、めんどくさいこと、色々です。

誕生日の話と人生

 

 

夫の誕生日プレゼントとして鉄板フレンチのお店を予約した。奮発して1人9千円のコース料理。

 

ディナーのコースなんていつ振りだろう。ウハウハしちゃうワ。

 

日にちOK、時間OK、誕生日の事も伝えたし、、よし!大丈夫。うふふ、楽しみ~

 

 

去年の私の誕生日の話なんですけど、私ね、母に意地悪をされたんです。

 

母が私の誕生日にフルーツゼリーを作ってくれたそうなんですが、私はそれを貰ってないどころか見てもいません。

 

なぜなら、それを私の娘に、

 

「アンタにあげるわ」

 

と、渡したんです。私の目の前で。何なら私を見ながら。

 

私の頭の中は「?」だらけ。

 

娘も、「え?誕生日はお母さんだよ?私じゃないよ?何で私に??」

 

と、戸惑ってました。

 

娘は私に渡そうとしましたが、母がそれを阻止。

 

何で?って私も思いましたが、母が私にではなく私の娘に渡したいのなら、そーすればいいじゃん、と思ったので、私は何も言わずその場で見守っていました。

 

そんな事をされて、そのフルーツゼリーが欲しいとは思わなかったし。

 

母がどーゆーつもりでそんな事をしたのか、私は母じゃないので分かりませんし、知りたくもありません。

 

これが私の誕生日に母にされた意地悪です。

 

そんな事があったので今年の母の誕生日はどうしようかと思いましたが、贈りましたよ、、母に、誕生日プレゼントを。

 

母は一見優しそうに見えますが、こーゆー感じでちょいちょい意地の悪い事を私にして来ます。

 

あんな事をされた、こんな事もあったと、幾らでも話せるくらいあります。

 

いつの頃からか、私の人生に母を登場させる事を私はしなくなりました。

 

私の人生に登場するのは、私の娘、私の孫、そして再婚した夫です。

 

母を避けるとかではなくて、私の母として接してはいますが、接点はただそれだけ、という感じです。義母のような感じと言えば分かりやすいと思います。

 

もはや母に対する憎しみや悲しみなんてものはありません。

 

私は父が死んだ時泣きませんでしたが、母が死んでも同じ様に涙は出ないんじゃないかと思ってます。

 

想像しても涙は滲みません。

 

母が死んだらどうしよう!という気持ちも1ミリもありません。母を慕う感情がわいて来ないのです。

 

恐らく、子供の頃に父から受けた性的虐待のあの期間に、私は自分を殺してしまったのだと思います。あの人達の子供である事を抹消した。実際に何度も犯行におよんだ父、助けを求めても助けてくれなかった母、あの時から私は自分の父親と母親を失った感覚で生きています。

 

母は母の人生を歩けばいい。どんな意地悪をして来ても私には効かない。私には幸せを与えてくれる娘や孫や夫がいる。私は自分で自分の人生を素晴らしいものにした。幸せだと言える人生に変えた。これからもこんな感じで生きようと思ってる。