夫が「また買っちゃった」と告白した。
どうやら車の部品?で7万円使ったらしい。確か去年も同じような報告を聞いている。
自分が好きなようにお金を使っているからか、私にも我慢せずお金を使うように言ってくる。
夫のお金を使っていいのなら使うけど、そうじゃないからね。でも、今日仕事に着て行った服は首回りがダルダルでみっともなかったから、今月服を買おうと思った。
昨日娘に会った時も、ヘンな靴下を私がはいており娘から注意を受けた。
私もヘンな靴下だなと思っていたが、友人からプレゼントされたものだったのでせっかくだからと履いていた。
娘にそれを言うと、
「じゃあお母さんは自分で選んだ靴下をいつ履くのよ?!」
と、返された。確かに。
もらった物でも自分が気に入っているのならいいが、ヘンなの!と思っているものをわざわざ履かなくてもいい、と。確かに!
私も今年53歳になる。本当なら1食1食を大切に、本当に食べたい物だったり、丁寧に作ったり、そういう風にしていくべきなんだろうけど、つい面倒で靴下同様適当にしてしまう。
気が付けば3月も終わる。さよなら、今年度。
職場も新体制に変わる。
話が二転三転、未だにどうなるのか結末が見えないまま働かなくてはならない私達。退職者は30人を越えた。
上層部が言ったのと違う事なんてザラで、もう怒りより笑ってしまう。
私に仕事を教えてくれた人も今月のなかばに退職した。辞めるのを決意した人もいれば、私のようにここに残ると決めた人もいる。
ここが良いワケではない。
ここが他よりそこまで悪いとは思わないだけだ。業務内容と手当てがね。上の人達はクソだけど。
新年度になると人が増えるので、私の夜勤の回数も通常に戻してもらえるはずだ。やはり夜勤が増えるとメンタルも殺られやすい気がする。戻してもらえなかったら、又上司に言うだけ。
面倒くさいけど、言わなきゃそのままだからさ。パートナーシップもそうよね。言わなきゃ、そのままなのよ。
今現在に不満があるのなら、それはそう言わなかった自分のせいだったりするのよね。
察してちゃんを止めて、モヤッとしたら伝える。何をどう変えれば自分は満足なのか、どうすれば気分が良くなるのか、それを人任せにせず自分で考えていくのも「人生を楽しむ」って事なんだと思っている。
欲しい物を買ったり、食べたい物を食べたり、お洒落な場所に行く事だけが「人生を楽しむ」って事ではないと思う。消費の楽しみは、その時だけの楽しみのような気がする。楽しいんだけどね。それが終わるとパーッと上がった気持ちもしぼんじゃうような、そんな感じ。その時は楽しいのだけど、それが継続しない。買う前の高揚感は買う前がピークなのと一緒で、手に入れるとそこから気持ちは下降する。
消費の楽しさはキリがないし終わりがない。
そこはあくまで副産物と考えて、メインは「自分」とすると、何となくイメージが掴める。
もう今日から。今から。そう意識して生活してみる。